2018年




ーーー9/4−−− 10年目のグループ展


 
先日、二年に一度のグループ展が開催された。展示会としては今回で7回目だが、私は2回目からなので、6回参加したことになる。初参加からもう10年が経った。

 同じメンバー、同じ場所の開催なので、正直言ってマンネリ化の傾向は否定できない。私も、もはやこれと言った情熱は無い。それでも、技術交流などのメリットがあるので、参加し続けてきた。しかしメンバーの中には、そんな状況にあっても前向きな人がいる。今回も、全員の作品を横並びに見れるような展示を考案したり、出展者全員の作品を網羅した図録を作ったりと、新たな企画を実行した。その姿勢には敬服したと言わざるをえない。

 さて終わってみると、なかなか良い展示会だった。マンネリ化した部分があるのは仕方ないとしても、全体の雰囲気が落ち着いていて、ある種の成熟が感じられた。メンバーの年齢が高くなってきたので、円熟味が増したのは当然かも知れない。それに加えて、各自が展示方法を工夫し、改善してきたことの成果も挙げられる。言い換えれば、会場の使い方に慣れてきたとも言える。それらと関係があるかどうかは分からないが、入場者数も多かったように思う。初日(金曜日)のオープン直後から入りはじめ、最終日(月曜日)にもそこそこの人数があった。これは過去には無かったことである。

 私個人の展示で、トピックス的だったことと言えば、トライアングル感湿器。20年ほど前に製品化したものだが、自分自身としては忘却の彼方に行ってしまったような品物である。昨年久しぶりに注文があり、いくつかまとめて作ったので、今回初めて展示した。これがなかなかの評判であった。木工家はもとより、一般の来場者にも受けた。この仕組みに驚いた、とか、このような品物を見たのは初めてだ、という声が相次いだ。

 その一方で、今回の展示会のために作った椅子が、かなりの自信作であったにもかかわらず、これといって注目されなかった。

 他人の反応というものは、概して予想外なのである。 




ーーー9/11−−− 氏子を返上


 
住んでいる地域に、こじんまりとした神社がある。いわゆる氏神様である。地域住民の大半は、この神社の氏子となっている。

 地域行政の下の住民組織に区というものがある。その区への加入は任意だが、転入したら区に入るというのが言わば慣例になっている。行政も区への加入を奨励している。そして区に入ると、自動的に例の神社の氏子となる。そういうことを知らなかったので、転入した当初、年末に神社のお札が届けられて、ちょっと驚いたものだった。

 神社の運営に、区から金も人手も投入される。それが政教分離の原則に反するのではないか、ということか、区からの支出は文化財維持管理費という名目になっている。月ごとに住民が動員されて神社の清掃が行われるが、それも文化財の維持管理という位置付けである。

 現代では、神道は宗教であるというのが、世の中の正しい認識とされている。それは、神道を民族のアイデンティティーとして国民に押し付けた、戦前思想への反省からきているものだろう。神道が宗教であるから、神社は宗教施設である。にもかかわらず、神社を文化財として扱わなければならない現状が、地域行政の苦渋を表している。

 実際のところ、この神社に人が集まるのは、初詣と秋祭りくらいである。限りなく宗教色は薄い。神社を文化財と考え、祭事を伝統行事とみなすのは、ある意味で現状に即していると思われる。私も以前はこのことを深く考えなかった。しかし、5年前から教会へ通うようになり、事情は変わってきた。

 原則として、キリスト教徒は他の宗教との掛け持ちは許されない、とされている。聖書に、「われらの神である主を拝み、ただ主のみに仕えよ」と書いてあるからである。そこで私は氏子を返上した。別に脱会の手続きなど無いが、お札の受領を辞退したのである。それを言い出すときは、いささかの勇気を要した。集団の中で、自分一人だけ異質な立場を取るというのは、かなりきついものがある。しかし特に問題も無く受け入れて貰えた。さらに、お祭りの寄付もお断りした。金銭に関わることなので厄介かなと思いきや、これも事無きを得た。これにて一件落着、と思われたが、そうも行かなかった。

 今年度、私は区の総代の任に着いた。総代とは、区の運営を執行する役職である。区長以下5名の総代が、およそ350世帯の区を取り仕切る。私はヒラの総代(区長、副区長ではないの意)なので、任期は一年間である。

 総代は、年に6回行われる祭事に参加することになっている。それをどうしたものかと思案した。役職に着くからには、個人的な事情は引っ込めろ、という意見もありそうだと心配したのである。そこで、前年度の終わり頃、顔見知りだった区長に相談をした。すると、「最初からはっきりと断れば良いでしょう」と言われた。これを聞いて、気持ちが楽になった。総代の初顔合わせの席で「宗教上の理由から神社の行事には参加できません」と述べた。それに対して異論を申し立てる人はいなかった。

 また、新年度最初の祭事の招待状を神社関係者が持ってきたときも、同じ事を述べた。すると相手は恐縮した様子で「それは存じませんで、失礼をしました。今後はご招待を控えさせて頂きます」と言った。

 我が家が越してきた二十数年前なら、ひと悶着あったかも知れない。この地の人々の考え方も、変わってきたように感じる。ともあれ、日本国憲法で保障された信教の自由を、自分が貫き通せたことを、嬉しくまた少々誇らしく思う。




ーーー9/18−−− はぐれもの


 
先日、数名で立ち話をしているとき、ある人が「私は、会社勤めをしていた頃、上司の命令に従わずに、よく始末書を書かされたものでした」と言った。すると別の人が「それで良いのですよ。組織というのはイエスと言う人とノーと言う人の両方がいてまともに機能するのです。イエスと言う人ばかりでは、方向を誤ったりするものです」とフォローした。それを聞いて、ある事を思い出した。

 私は会社員の頃、週末にはよく山登りに出かけた。仕事が溜まっていても、そっちのけで山に行った。労働者としての意識が強く、時間外労働に対して批判的な気持ちを持っていたことも関係していたと思う。休日を自分の思い通りに使って何が悪いのか、という思いがあった。会社にとっては、ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)だったろう。

 その当時、職場に10歳ほど年上の、管理職の社員K氏がいた。そのK氏を中心にして、職場の仲間で、しょっちゅう就業後に飲みに行った。メンバーはいずれも機知に富み、何度飲み会を重ねても、話題が底をつくことはなく、楽しかった。そのK氏は、私が会社に在籍した期間を通じ、知り合った数多くの社員の中で、最も素敵な人物の一人でもあった。

 ある飲み会で、私は「自分のような社員は、会社から嫌われているでしょうね」というようなことを述べた。するとK氏は即座に返した。

 「山登りばかりしてちっとも仕事をしない。しかし、どういうわけかクビにもなってない。そういう社員が、会社には必要なんだよ」

 経済的に豊かだった時代の、しかも余裕があった会社だから言えた事だったとは思う。それでも、そういうことを平然と言ってのける管理職は、私が知る限り、他には居なかった。その後、世の中の景気は傾き、会社の勢いも衰えていった。K氏は、これといった出世もせずに会社生活を終えたと人伝てに聞いた。

 私は今でも、K氏の言葉を思い出す。そして、「どんな人にもそれぞれ役割はあるんだよ、たとえ目先の利益には結び付かなくてもね」というメッセージを、周りの人たちと共有したいと願っている。経済的な不安を抱え、全ての人が同じ方向に進みそうな時代であればこそ。

 




ーーー9/25−−− 下道選択の誤り


 軽トラで東京へ行った。土曜日の朝穂高を出て、昼過ぎに目的地の品川区某所に着いた。その日の午後と翌日の朝に用事を終え、午前10前に某所を出て帰路についた。

 日曜日だから空いていると予想したが、環七通りは混んでいた。ようやく中央高速の入り口まで来ると、「調布ー上野原 事故渋滞40キロ、120分」と表示があった。そこで高速は止め、下道(一般道)で行くことにした。

 ところが、甲州街道も混んでいた。これが普通の状態なのかも知れないが、信州の田舎道しか知らない身にとっては、頻繁に現れる赤信号でストップされる流れに、うんざりした。

 この混雑も八王子の先で少し緩み、よしよしと思ったのも束の間、高尾から先の峠越えの一本道は、車が詰まって数珠繋ぎ。少しノロノロ動いては長い間止まるの繰り返し。これは完全に想定外だった。おそらく、私と同じように、高速道の渋滞情報を見て一般道を選んだ人が多かったのだろう。前の方に、松本ナンバーの車もあった(笑)。

 結局この渋滞は、相模湖インターまで続いた。インターの辺りに着いたのは、4時ころ。東京から安曇野へ帰るおよそ250Kmの行程の、はじめの60Kmを進むのに、6時間かかったことになる。

 相模湖インターで続々と高速に乗り換える車列を見送り、さらに甲州街道を進んだ。一般道を選択したからには、それなりの成果を達成したかった、つまり高速料金できるだけケチりたかったのだ。そして夕暮れの甲斐路をひたすら走った。当初の予定通り勝沼インターで高速に乗ったときには、もう薄暗くなっていた。

 自宅に着いたのは7時半過ぎ。出発してから帰り着くまでおよそ10時間。結果論だが、高速の渋滞を嫌って一般道を選んだのは、失敗だった。穂高に戻った翌日、近所の人にこの話をして、「高速が混んでいるからと言って下道を使うのは、得策ではないね」と言うと「そうだね、高速でかなり渋滞しても、5時間は掛からないからね」と言われた。たしかにそうだろう。渋滞しても高速の方が症状は軽いのだと思う。信号機は無いし、斜線も複数だから、一般道に比べれば流れ易い。それ故、渋滞が解消し易いとも言えるだろう。

 そして、高速が混めば、平行する一般道も混むのである。今回も、相模湖と八王子の間の上りで渋滞が始まったという情報が出ると、甲州街道の対向車線に車が詰まりだした。一般道の方がキャパシティが小さいから、大量の車が流れ込んで渋滞が始まると、事態は深刻になる。同じくらい時間が掛かるなら、料金を取られない一般道の方が良い、と考えがちだが、要する時間は同じくらいではないのである。ともあれ、これだけ時間が掛かって、得をした高速料金は1500円だったから、どう考えても失敗であった。

 私は、高速道よりも一般道を運転する方が好きだ。沿線の風物に触れる距離感が小さくて、旅を楽しめるからである。だから、急ぎでなければ、わざと一般道を走ることが多い。一般道を走るデメリットは時間が長くかかることだけだが、急ぐ身でなければそんな事は気にならない。反対に費用が安く済むというメリットがある。だから、一般道を利用するのは、私にとっては理にかなっていると思ってきた。

 しかしそれは好んで選べる場合に限定されるべきだと、今回思い知らされた。一般道を利用するのは、平行する高速道が健全な場合にのみ選択されるべきなのである。